タロット
11月から始まるマリオットホテルでのギグに備え、いつものモスマンの教会でリハをする事になった。4セットやるので、レパートリーを増やす必要がある。もちろん、今後のためにも曲数は多い方が良いので異論はなかった。
教会でのリハはいつも楽しい。ドラム、グランドピアノ、ベースアンプが置いてあり、会場の自然なリヴァーブもあって、リハーサルスタジオよりずっと良い。カーペットが敷かれているので程良く吸音され、静寂の中、会話もしやすい。デイヴとスティーヴとはすっかり仲良しになり、リラックスした雰囲気の中でリハが出来る。
ベースのジョンは多忙を極めており、リハに来る事は稀だ。彼にはリハは無用で、本番にさえ来てくれれば良い。彼なら問題なくやってくれる事を我々も知っている。もちろんベースがいてくれれば、リハは最高に楽しくなるが、ジョンにはこれ以上重荷を負わせられない。
リズも初めの時より打ち解けて、言葉が多くなって来た。彼女はどうもスピリチュアルに傾倒しているらしく、端々にその話が出て来る。
「あんた、タロットで占って貰えばいいじゃん」
最初、その言葉を聞いた時、デイヴと僕はギョッとして思わず目が合った。その後も、占星術がどうのとか、スピリチュアルの本に書かれている話を、やたらと勧めて来る。事あるごとに、その話を展開するので、たまらずデイヴが彼女に釘を刺した。
「リズ、その話は興味深いけれど、実は俺もヒトシも信仰を持っていて、相容れない部分があるんだ。だから悪いけど、あんまり聞きたくないんだ」
「あら、そう」
リズはそう答えた。だが、それはその時だけで、またしばらくすると、元通りになってしまうのだ。教会のリハでも、何かとスピリチュアル系の話に繋がってしまうので、困ってしまう。
シンガーとして自信も向上心もあり、素晴らしいのだが、コード楽器が弾けない。それゆえ、時々「そこコードが違う」と言い張ったりして、陰で我々の嘲笑を買う羽目になる。我々はチャートを持っており、書かれた通りのコードを弾いているのだ。
「いや、書かれた通りにCm9で弾いてるよ」
そう言っても聞かないので「これか」「こういうのがいいか」などとデイヴが弾いて響きを聴かせる。コードは音の配列によって響きの印象は大きく変わる。それをヴォイシングと呼ぶのだが、彼女は「そこ、違うヴォイシングで弾いてみて」と言えば良いのだ。それについても何度説明しただろうか。
リハの途中で休憩をとった。いつものように煙モクモクの中で雑談する。スティーヴとリズのタバコの匂いは爽やかなので、もう慣れたし煙の中でも普通に会話できるようになった。
「あんた、私が占ってあげるわよ」
リズは話が盛り上がると、どうしても占いだのスピ系の話を投げ込むのだった。冗談とはいえ、真面目なデイヴは言い返した。
「リズ、僕たちは占いはしないんだ。それは聖書の教えに反するからさ」
スティーヴは目を閉じ下を向き、わずかに首を振った。デイヴとリズが静かに口論するのを、我々は黙って聞いた。デイヴは律儀な性格で、それゆえ自分の意見をまっすぐ発言する。僕は英語で説明できないので、黙っている。
休憩を終え、練習していると、再びリズが「デイヴがコードを間違えている」と指摘した。デイヴは僕の方を見て「ここはG13だよな」と弾いてみせたので「ああ、そうだよ」とギターで弾いて返した。
「全然違うじゃん」
リズは僕とデイヴを指さして言った。
「そうだよ、リズ。ギターは弦が6本しかないし、肉体的にもピアノと違って左手だけで押さえるから、とても制限があるんだ。だから、出せる響きもしょぼくなる。だけどコードはデイヴが弾いてくれるから、いつも僕は適当に好きな音を選んで弾いてるんだよ」
僕はデイヴのコードを邪魔しないように、少ない音を使って彼の合間を縫うようにしている。コードを弾く時もあるが、いいとこ3〜4音しか鳴らさない。リズはギターとピアノの違いを今更のように気づき、驚きを隠せない。楽器を弾けないシンガーは、文句を言う時はそれなりに言葉を選ばなくてはならないのだ。とんちんかんな発言を繰り返すと、烙印を押されてしまう。
スティーヴはドラマーだが、学校でピアノとコード理論を学んだので、そういう話にもついて来れる。この手の音楽を演奏する場合、ある程度の知識と語彙がないとコミュニケーションが難しくなる。そのため本来不要な説明に時間を浪費し、良い雰囲気が損なわれてしまう。
デイヴはG13のバリエーションを弾いて聞かせた。
「違う」
「これか」
「違う」
「これか」
「うーん、近いけど何かおかしい」
リズは自分が欲しい響きがあるならば、それを伝えられるスキルを持つべきなのだ。逆にピアニストはシンガーの要求に応えられなければならない。デイヴは言われるがまま根気よく、可能な限りヴォイシングを弾いてみせた。